ごあいさつ

本日は、なごみ管弦楽団第 13 回定期演奏会にお越し頂き、誠にありがとうございます。「名曲を楽しく、なごやかに」本演奏会では、偉大な作曲家 2 人の、傑作交響曲 2 曲をお送り致します。

当団には幅広い年代の団員が在籍し、普段の仕事もさまざま、楽器の経験年数もさまざまなメンバーが一緒に音楽を作っています。色々な制約もあるなかで、お互い他の団員のことを尊重しあい、少しずつ音楽を積み重ねています。オーケストラは一人のスーパースターがいても成り立たず、すべてのパートが各自の役割を果たさないとうまくいきません。ときに個性をぶつけあいながらも、各自音楽に真摯に向き合い、楽しむようにしています。選曲についてもその通りで、団員が本当に「演奏したい!」と思う曲を選んだ結果、今回のプログラムはなかなかチャレンジングなものとなりましたが、我々が今作れる最高のものを、皆様に心をこめてお届けしたいと思います。

なごみ管弦楽団 団員一同

演目紹介

◇ドヴォルザーク/交響曲第 9 番「新世界より」

今回我々なごみ管弦楽団は交響曲の名曲のなかでも直球の名曲、ドヴォルザークの交響曲第 9 番「新世界より」を満を持して演奏します!

ボヘミア(チェコスロヴァキア)の大作曲家ドヴォルザークが音楽院の院長としてアメリカに招かれてニューヨークで作曲されたとされるこの曲は、アメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることに刺激を受けたドヴォルザークが望郷の想いを込めた(第 2 楽章の家路の音楽には郷愁をそそられますね!)とか、鉄道マニアだったドヴォルザークが蒸気機関車の音を表現した(第 4 楽章の冒頭はまさに発進!という感じですね!)など、とても興味深い逸話がたくさんあります。

でも、筆者にとってこの曲を聴くとどうしても思い出してしまうのは、いまから 40 年くらい前の倉本聰のドラマ「あぁ!新世界」です。フランキー堺演じる北海道の僻地の村に暮らす一人の中年男が音楽を捨てて十年ののちに起死回生をかけて第 4 楽章のたった一回のシンバルの演奏のために舞台に座っています。

演奏を聴きながら彼の脳裏には僻地の村の素朴な人々と美しい自然の光景がよぎっていきます。その想いは望郷にも似て……男はたった一回のシンバルを無事に叩けるのか?このドラマでは、彼にとって僻地の村が新しい故郷になっていく物語でもありました。

このドヴォルザークの「新世界より」には望郷の想いとともに新たな世界を受け入れてともに歩む、もう後ろは振り向かない!という作曲者の強い意志のようなものが感じられるのです。それは終楽章の美しいクラリネットの 2 回のソロが望郷のソロと前向きのソロになっているところからもうかがえます(個人の意見です)。そして、大きく赤い夕日は新世界の地へと沈んでいくのです。

なお、今回の演奏ではこのドラマのようなことは起こりません。第 4 楽章のシンバル奏者は第 3 楽章でトライアングルも叩くからです。それも烈しく!(小西淳)

◇シューベルト/交響曲第 8 番

私達なごみ管弦楽団は、第 1 回定期演奏会から毎回ベートーヴェンの交響曲を一つずつ取り上げてきました。偉大な 9 つの交響曲のあとに続く、いわゆる「ベートーヴェンの 10 番」にふさわしい作品とは何か?と言われればブラームスの交響曲第 1 番を思い浮かべる方も多いでしょう。実際に当団でも第10 回定期演奏会においては同曲を演奏しましたが、やはりシューベルトの通称「グレート」こそ、その称号にふさわしいと思えてなりません。

ウィーン郊外にベートーヴェンより 27 年若く生まれたシューベルトは、31 年という短い生涯の中であらゆるジャンルに数多くの名曲を残しましたが、中でもドイツ歌曲の分野においては多くの功績を残し「歌曲の王」とも言われています。

ベートーヴェンを深く尊敬しており、葬儀のときは先頭で棺を担いだということもあり、ウィーンの中央墓地ではモーツァルト像を挟んでベートーヴェンとシューベルトの墓が並んで置かれています。

交響曲第 8 番は 1825 年から 1826 年にかけて作曲されました。ウィーン楽友協会へ提出したものの、演奏困難として作品が日の目を見ることはありませんでした。シューベルトの死後シューマンによって発見され、盟友であったメンデルスゾーンのもとに送られて初演されたのは 1838 年。ベートーヴェンの「英雄」「第九」以来の長大な作品です。

この曲はよく「グレート」との副題が付けられています。シューマンがジャン・パウルの小説にたとえ、「すばらしい(天国的な)長さ」と呼んだともいわれてますが、イギリスの出版社が同じハ長調である交響曲第 6 番と区別するためにそう呼んでいるのが実情でしょう。

作品はベートーヴェン以来の長大さと力強さを受け継いだものであり、実際に影響を受けたとみられる部分も確認できます。長い序奏部を持つソナタ形式の第 1 楽章ではベートーヴェンの交響曲第 5 番にも見られるような短い音型の積み重ねの中にも歌曲で磨かれた美しい旋律が多く聴かれます。オーボエの哀愁漂う旋律で始まる第 2 楽章はベートーヴェンの交響曲第 7 番の第 2 楽章と同じ調性、構造で書かれています。第 2 主題はまさにここを天国的と言っていいほどの美しさです。後のブルックナーの交響曲を思い起こさせる長大なスケルツォで書かれた第3 楽章、トリオ部分の旋律はベートーヴェンの交響曲第 4 番のそれにも似ています。自由なソナタ形式で書かれた第 4 楽章、ほとんどが「どっどみー」「みどみそっ」2 つの音型で出来ています。それらの音型自体が旋律になったり、美しい旋律の伴奏に回ったりします。展開部ではベートーヴェンの「第九」のオマージュとも思える旋律が出てきます。終結部はそれまでの 2 つの主題と「第九」の旋律が組み合わさって堂々としたフィナーレで締めくくります。(柳橋明徳)