ごあいさつ

本日は、なごみ管弦楽団第 14 回定期演奏会にお越し頂き、誠にありがとうございます。「名曲を楽しく、なごやかに」本演奏会では、当団初の「オール・フランス・プログラム」として、フランスの偉大な作曲家 3 人の作品を取り上げます。これまでベートーヴェンの交響曲全曲等に取り組んできた我々からすると、和音の使い方など大きく違う音の進行に戸惑うこともありましたが、練習を通じてその魅力を楽しみながら、本日まで音楽をつくり上げてきました。

さて、今年のコロナウィルスの感染拡大は、当団の活動にも大きな影響を与えました。3 月下旬からの東京都の週末外出自粛要請、そして国の緊急事態宣言を受け、団の活動も中断を余儀なくされました。6 月末にコロナ対策を取っての練習を再開したものの、普段使用している練習会場の定員が半分に制限されるなどの事情により、本定演は弦楽器の人数を減らして小さめの編成での演奏となりました。そのような状況を経て、本日の演奏会を迎えられたことに、団員一同喜びを感じております。本日はゆっくりとお楽しみください。

なごみ管弦楽団 団員一同

演目紹介

◇サン=サーンス/英雄行進曲

サン=サーンスはフランスのパリに生まれ、フランス音楽界の大家となりながら人生の後半を旅上に過ごした作曲家。本日お聴きいただく「英雄行進曲」は、今からちょうど 150 年前に 2 台のピアノのための曲としてパリで作曲されました。そのころの花の都パリでは前年まで 20 年以上続いた奇跡のような平和を謳歌していましたが、隣国プロイセンの画策により 1870 年に普仏戦争に追い込まれます。

サン=サーンスは作曲家でありながら国民衛兵としてパリを守る任務に就きます。彼は戦費調達のためコンサートを開き、カンタータ「戦争の歌」を作曲しようとしましたが果たせず、その一部を抜粋し2 台ピアノのためにこの「英雄行進曲」を作曲しました。愛国心が強かったのでしょうか初演の時サン=サーンスは軍服を着てピアノを弾いたそうです。

しかし、その年の秋にはパリはプロイセン軍に包囲されてしまい、その月のうちにパリ=コミューンが結成されます。不利な戦局に打開を求めての1871 年 1 月 19 日のピュザンヴァール出撃は失敗しました。この出撃戦で一人の画家が戦死します。アンリ・ルニョーです。彼はテノール歌手でもありサン=サーンスの歌曲の初演も務めるほどの親友でした。彼の死にサン=サーンスは打ちのめされ、除隊されてから 3 日間家で泣き暮らしたそうです。1 月26 日にはフランスは降伏、2 月にはコミューンが世界初の人民政府を樹立しますが 5 月には鎮圧されます。

フランス、なかんずくパリの復興に命を燃やすサン=サーンスは「国民音楽協会」を立ち上げ、一方で「英雄行進曲」を亡き友アンリ・ルニョーに献呈し、新たに管弦楽版を作曲して 1871 年 12 月に演奏しました。こうして、亡き友に捧げる、勇ましい愛国調の行進曲が完成したのです。

なお、この曲の聴きどころとして、中間部に置かれたトロンボーンの長いソロを挙げておきます。(小西淳)

◇グノー/「ファウスト」のバレエ音楽

グノーはフランスはパリ生まれの生粋のフランス人作曲家。グノーの作品ですぐに名前が浮かぶのはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」最初の曲である前奏曲に旋律を付けた「アヴェ・マリア」(『グノーのアヴェ・マリア』として知られる)であり、また曲名は有名でないがテレビのヒッチコック劇場のテーマ曲として知られる「操り人形の葬送行進曲」という曲があります。

本日演奏いたします「ファウスト」のバレエ音楽は名前を聞いただけでは他の作曲家のファウスト関連の諸作品の中でも「?」と思われるかたもいらっしゃるかと思いますが、音楽を聴いていただけますと一聴して全てどこかで聴いたような曲だと思われるかもしれません。

もともとはオペラとして作曲され、それをバレエ付きのグランド・オペラとして改作を依頼されていたものが、オラトリオの作曲中だったグノーが多忙のため一時本日の前プロの作曲者であるサン=サーンスに依頼が行ったが辞退されたため結局グノーによって完成しました。

本日演奏いたしますバレエ音楽はそのもともとのオペラの第 5 幕に当時の慣例に従って追加されたもので、ファウストが黄泉降りで出会った歴史上の美女たちの物語を 7 つの情景としていて、およそゲーテの「ファウスト」の中心テーマからはかけ離れた逸話集となっていますが、すべて一聴しただけで忘れられない名旋律が華麗な管弦楽で彩られています。

この曲は管弦楽の大家ベルリオーズからも称賛されており、まさに練達した作曲職人 (artisan) の手になる佳品と言えるでしょう。(小西淳)

◇フランク/交響曲

フランクの交響曲は孤高の教会オルガニスト(弟子はいました)の最晩年の作品。楽曲解説的には循環形式を採用して転調が非常に多い曲とされています。そのような点から地味で難渋に見られがちですが味わいもあり、フランスの交響曲というよりはベルギー人らしさもあります。

教会オルガニストの交響曲としてはブルックナーがすぐに想起されますが、ブルックナーの交響曲はオルガンのペダルのような響きが多用されて重厚な教会の足場のような印象もありますが、一方、フランクの交響曲はオルガンの鍵盤の高音部分を多用しているようなところがあり、教会の尖塔の高い部分にあるステンドグラスのような印象の響きがするのです。

循環形式と転調も実際に聴いているとそれほど気になることもなく、循環形式はその高い尖塔へ昇る螺旋階段の繰り返しのような印象であり、多用される転調は場の空気感の変化、特に尖塔の天辺のステンドグラスから突然光が射すような、闇の世界から陽光の世界へと光彩が一挙に変化する瞬間をもたらすのです。

ここにベルギー人らしい、ノートルダム大聖堂の祭壇画を描いたルーベンス(ベルギーの画家)の絵のような闇と光を感じることもできるでしょう。不評だったとされるこの曲の初演時にほとんど唯一人この曲を絶賛したとされるドビュッシーが、ルーベンスが好んで描いたパンとシュリンクスを音楽で多々表現しているのを考えると感興がわきます。

曲は 3 つの楽章からなり、暗闇の中から光を求めて徐々に螺旋階段を上り一瞬の陽光のきらめきを見る悦びを感じつつ再び闇落ちする第 1 楽章、哀愁あふれる静謐な流れとは裏腹な感情の昂ぶりと明朗さを持つ第 2 楽章(緩徐楽章の中にスケルツォを入れ込んだとする解釈もあります)、そしてこれまでの鬱積を破って天高く隅々まで晴れ渡った空を突き抜けていくような光彩の流れに心の底まで希望が満ち溢れるようになる第 3 楽章。

ふと、今のコロナウイルス感染下における理不尽な抑圧的状況も必ず希望の光に充ちた時がやってくると思えてくるようです。

なお、第 2 楽章の冒頭の長いイングリッシュホルンのソロは、ドヴォルザークの新世界交響曲の第 2楽章のソロに先駆けてこの楽器の独奏が交響曲で使用された先駆であることを付記しておきます。(小西淳)