ごあいさつ

本日は「なごみ管弦楽団」第 11 回定期演奏会にお越し頂き、誠にありがとうございます。

私達は創設から 11 年間、目標としていたベートーヴェン交響曲全 9 曲を毎年 1 曲ずつと、併せて数多の名曲をお届けし、引き続いて、あたかも音楽史の流れに沿ったかのように、ベートーヴェンを崇敬し続けたブラームスの交響曲に挑戦することとなりました。昨年は第 1 番、今年は第 2 番をお届けします。

決して多くはない団員が、ごく普通の社会人生活を送る傍ら、この活動を続けてこられた背景には、いつも、力強いご支援を下さる方々のご厚情とアマチュア音楽活動への深いご理解があり、団員一同、感謝の念を忘れることはありません。

そして今回は、一年前に翌年のクリスマスイヴの日の会場予約がとれた幸運を、私達なりに盛り上げたいと考え、プログラムのメインに、イヴの夜の出来事として書かれたメルヘンを基に作曲されたバレエ音楽の傑作を選びました。

さらに、今回で私達の定演に3度目のご出演をして下さる語りの名手佳人が、私達の演奏を素敵に紡いで下さいます。皆様のイヴが楽しく暖かい一時となりますよう、心を込めてお届けします。

なごみ管弦楽団団員一同

語り手紹介

藤本しの

立教大学文学部卒業。英・仏・独語の通訳として、ダン・タイ・ソン、ヒラリー・ハーン、リチャード・ストルツマン、ゲイリー・カー氏等、著名なクラシック音楽演奏家や指揮者、オーケストラのアテンドをする傍ら、各種イベントの通訳・司会を務める。

また、「現代の語り部」として、語り、ナレーション、芝居・映像の分野でも研鑽を積み、2002 年 7 月には「第 18回 < 東京の夏音楽祭 >」に参加して、自作の物語をオリジナル音楽と水彩画・版画付きで紹介。クラシック音楽ナレーション作品には、オーケストラと共演の「ピーターと狼」「動物の謝肉祭」「カルメン」「シエラザード」「くるみ割り人形」「展覧会の絵」「魔笛」「フィガロの結婚」「白鳥の湖」他多数がある。

2003 年より演劇ユニット「芝居三昧」を立ち上げ、人生に何より必要なもの < 愛と笑い > をテーマに、定期的にプロデュース公演を行い、主役を務めている。

演目紹介

◇ブラームス/交響曲第 2 番

ドイツ・ロマン派の大作曲家ブラームスの交響曲第2番は 1877 年の 12 月に初演されました。今年の 12 月でちょうど初演から 140 年になります。今年がブラームスの没後 120 年になることとも合わせ、この記念すべき年にこの曲を演奏できるという幸せを感じています。

ブラームスは前作交響曲の第1番を構想 20 年、執筆開始からも 14 年もかけて難産の末に完成したのに比べると、この第2番はたった4カ月で完成しました。そのためか、この第2番には一気に書かれた勢いが流麗さとなって感じられます。執筆されたヴェルタ―湖畔のペルチャッハという場所(美しいところだそうです)が作曲に良い影響を与えたのかもしれません。曲調の穏やかさからそんな風景を想わせるのか、ブラームスの「田園」交響曲と呼ばれることもあるそうです。

この流麗さは周囲の人間も感じたようで、恩師の妻でブラームスが敬愛、思慕するクララ・シューマンは第2番は第1番よりもよっぽど良いみたいな趣旨のことを述べています。前作より新作を褒められるのはうれしいこともありますが、第1番にあれほどクララを思慕する旋律を組み込んだのに気づいてもらえなかったブラームスも複雑だったでしょうね。

さて、この曲は楽器の使い方に幾つか特徴があります。

まずはホルン。この曲はもうホルン協奏曲では?と思えるほどたくさんのホルンのソロが出てきます。牧歌的なところが「田園」風なのかもしれません。また、ホルンは人の声に近いと言われることがあります。同じく人の声に近いと言われるチェロの冒頭旋律と合わせて感じてみたいです。

次はトロンボーン。ブラームスの全交響曲の中で第2番にだけ使われるチューバを引き連れてまさに神の声のような荘厳さを醸し出しています。この曲が流麗なだけでない陰翳を与えています。

この曲は上述のように人の声と神の声を織り込みながら結局人間ってすばらしいということを描いているんじゃないかと思うんです。人間讃歌ですね。そういう意味ではベートーヴェンの「田園」よりも今風に言うと玉置浩二の「田園」に近いんじゃないかという気もします。

第1楽章は、人の声のざわめきのようなチェロから始まってホルンが牧歌的な第1主題を滔々と吹きます。一方第2主題は長調ですけどメランコリック。そんな憂愁を超えて人の喜びの営みを描いていくと、トロンボーンがブラームス本人曰く「鋭い声」で「そんなに楽しくていいのか?」と神の警告を発します。すると、ホルンをはじめほかの楽器が「いいんです!」との人間の回答を返してまた明るくなります。

第2楽章は、これも長調ですが短調みたいにメランコリック。するとすかさずトロンボーンの神の声がこんどは「そんなに憂鬱でいいのか?」と問いかけます。すると、弦楽器をはじめみなが「もっと元気を出します!」と応えますがなんとなく物思いにふけった感じで謎めいています。

第3楽章は、ブラームスの交響曲では初めてスケルツォ的ですが、普通のスケルツォと違って中間部のスケルツォをメヌエットで前後にくるんだみたいな構造になっています。その快速部は 2/4 拍子で同年代に作曲されたチャイコフスキーの交響曲第4番のスケルツォと少し似た感じです。

第4楽章は、ロンドのようなソナタ。ざわめきのような第1主題に対して壮麗な第2主題のほうが主要主題のよう。この第2主題はその後発展して人間讃歌となる。トロンボーンが「それでいいんだな?」と最後の念押しをするとみな一斉に「いいんです!」と第2主題を絶唱して人間讃歌を謳歌して終わります。

…こうして、穏やかなように見えて交響曲第2番は神ですら抑えきれない人間讃歌を謳うのでした。(小西淳)

◇チャイコフスキー/バレエ「くるみ割り人形」

ストーリーは、藤本さんの素敵なナレーションで楽しんでいただくので、ここではあらすじは敢えて記さず、クリスマスと、くるみ割り人形に登場する曲のタイトルになったお菓子について、何か書いてみる。私はお菓子は大好きだ(お酒はもっと好きだ)。

うちはクリスチャン家庭だったので、毎年クリスマスはきちんと祝った。きちんと祝ったとはきちんと飲み食いした、の意味だが。

クリスマスには、父が必ず「フルーツポンチ」を用意した。父のフルーツポンチには、わざわざ明治屋などで入手した、真っ赤なクランベリージュースが入っていた。当時私はクランベリージュースはクリスマスの特別な飲み物なんだと、赤い色をうっとり眺めていた。だが数年後、父はタピオカミルクに凝り出した。クリスマス関係なく、単に父のマイブームだったらしい。

くるみ割り人形に登場するお菓子も、特にクリスマス特有のものではないようだ。物語はドイツが舞台なので、シュトーレンなど登場しそうなのに。

「ロシアの踊り」として知られるトレパックは、大麦糖で作られた飴のことで、棒状でクルクル捻じってある形が、バレリーナのクルクルと踊る動きで表されている、という。大麦糖…ネットで検索すると「大麦糖質制限」などと表示されて凹む。メアリーポピンズのお話に出てきた記憶もあるのだが…ここはクリスマスに出回る紅白の長細いキャンディケーンのイメージで良いだろうか。ロシアというより、ぐっとアメリカンな感じになるけど。

「葦笛の踊り」のミルリトンは、フランスの伝統菓子の一つで、エッグタルトのようなものらしい。タルトの名前が葦笛。理由は分からない。まあ日本でも、餅米をあんこで包んだお菓子をお萩と呼ぶから、そんな何かだろうか。

今回は演奏しないが、「スペインの踊り」はチョコレート。これに、ちゃんとコーヒーとお茶も付く。お菓子の国、至れり尽くせりですね。

「金平糖」、これは意図的な誤訳なのは有名な話です。原典ではドラジェ。ドラジェなんて言われても一般的に分かんないもんね。

金平糖という訳は意外に良いな。クララの金髪巻き毛がつややかな黒髪のおかっぱになったようで。以前観た、英国ロイヤルバレエの吉田都さんの金平糖は素晴らしかった。セクシーダイナマイツ!な西洋人ダンサーも多い中、小柄な吉田さんの踊りはどこまでも清楚で気品があって…喩えるなら、京都緑寿庵清水の金平糖 ( 私の好物 ) のようだった。

さてドラジェとは。砂糖でコーティングしたアーモンドのお菓子である。私はたまたまドラジェをよく知っている。小学校 3 年時に、クリスチャンの子どもの行事「初聖体」に参加した。七五三みたいなものである。その際にドラジェを食べた。千歳飴か。さらに列席者に配った。お祝い事に配るのがドラジェというお菓子なのだ。だから、金平糖でなく、ここは「紅白まんじゅうの踊り」という訳はどうか、と主張したところ、バイオリンのヒロコさんとホルンのサキちゃんに一発却下された。

ドラジェは、主に結婚式の引き出物のイメージらしい。ドラジェがお菓子の国の女王様なのは、王子とパドゥドゥを踊るのは、夢見る少女クララが美しく成長し、王子様のような男性と幸せな結婚をする、という暗示だそうだ。今時「女の幸せは結婚」と言い切るつもりはない。今回私たちは演奏しないが、結婚を象徴するパドゥドゥの音楽は、どこか哀愁や諦観を帯びている。結婚の本質…いやなんでもないです。

チャイコフスキーは孤独を愛し、その華やかで流麗な音楽のイメージとは裏腹な、内気で気難しい人物だったようです。そんなチャイコフスキーが、何を思ったのか、少年少女達へ最高に幸福感の溢れたクリスマスプレゼントを贈った。それが、バレエ音楽・くるみ割り人形なのです。皆さま、しばしお菓子のような甘い可憐な夢の世界へ、どうぞ。(稲垣ちひろ)