ごあいさつ

本日は、なごみ管弦楽団第 12 回定期演奏会にお越し頂き、誠にありがとうございます。「名曲を楽しく、なごやかに」本演奏会は「オールロシアプログラム」。ロシア人作曲家の作品の中でも、我が国で抜群の人気と知名度を誇る3曲を選びました。

ボロディン「中央アジアの草原にて」は東洋と西洋の邂逅の音楽。ラフマニノフピアノ協奏曲第2番は、なごみ初登場の気鋭のピアニスト、元呑千香子さんの温かな音色とともにお送りいたします。元吞さんは多くの回数私たちの練習に参加頂き、ともに音楽を作り上げる喜びをもたらして下さいました。本日その成果を披露できることを嬉しく思います。

後半にお送りするのは、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」。本年2月、当団の創始者の一人であり、初代の事務局長である山内響子さんが、闘病の末に亡くなるという悲しい出来事がありました。本演奏会でこの曲を演奏することはその前から決まっていたのですが、図らずも大作曲家の書いた最後の交響曲が、彼女に捧げる一曲となりました。

秋の午後のひととき、皆様に心をこめてお届けします。

なごみ管弦楽団 団員一同

独奏者紹介

ピアノ 元呑千香子

東京音楽大学ピアノ科を卒業後渡仏。フランス国立サン・モールデ・フォッセ市音楽院ピアノ科最高課程とパリ 13 区モーリス・ラヴェル音楽院伴奏科を審査員満場一致の 1 位で卒業。ピカルディー・ヨーロッパコンクール・ピアノ部門 1 位。サンノム・ラ・ブロテッシュ国際ピアノコンクール 2 位。日本とフランスにてリサイタルやオーケストラとの共演、パリ市の企画コンサートなどのコンサートに出演。フランスの音楽院にてクラス伴奏員、国際コンクールの公式伴奏者をつとめる。ピアノを北川暁子、樋口恵子、須田真美子、アンリ・バルダ、アンヌ =マリー・ドゥ・ラヴィレオン、伴奏法をクロード・コレの各氏に師事。

演目紹介

◇ボロディン/中央アジアの草原にて

ボロディンは生前は化学者として広く知られた作曲家です。

交響詩「中央アジアの草原にて」は、ロシア皇帝の即位 25 周年を記念した活人画の伴奏音楽として作曲されました。活人画というのは役者が祝い事で絵画のようなシーンを演じることで、この曲は実写化されたアニメの劇伴音楽のようなものかもしれませんね。

さて、楽曲の内容ですが、ボロディン自身がスコアに大意以下のように記しています。

「中央アジアの草原にロシアの歌が流れている。かなたから東洋の響きが聴こえてくる。アジアの隊商が近づいてくる。ロシアの兵隊たちに守られて果てしない砂漠を抜けていく。やがて隊商は遠ざかるが、ロシアの音色と東洋の響きが融けあい、こだまとなってしだいに草原の彼方に消えてゆく。」

ロシアの歌はクラリネットで奏され、東洋の響きはコーラングレが奏します。兵隊に隊商といった設定からロシアの主題はロシア人の男性、東洋の主題は東洋人の女性に喩えられることがありますが、むしろロシア人の女性と東洋人の男性とした方がしっくりきます。ロシアの兵隊の紅一点馬上姿も凛々しい女性が中央アジアの逞しい男性と巡り合い、惹かれ合うがやがて別れます。終盤にそれまで東洋の主題を奏でていたコーラングレが 2小節だけロシアの主題を奏し、クラリネットもロシアの主題を 2 小節だけ奏します。アジアの男性が惜別を歌い、ロシアの女性はうしろを振り返らないと歌うのです。切ない別れです。このあとクラリネットで 2 倍の長さで奏されるロシアの主題はこの邂逅への回想に入っています。(小西淳)

◇ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第 2 番

ラフマニノフはピアノの大家で生前はピアニストとして有名でしたが管弦楽にも優れた才能を示し、両者が見事に融合したピアノ協奏曲第 2 番は畢生の名作とされています。

親しみやすいメロディーに溢れたこの作品は、評論家などから保守的な作品とされてきました。でもこの曲は本当に保守的なのでしょうか ? この曲は聴く人の心を直接揺さぶる深いロマンティシズムに満ちています。我々はこの曲で初めて聴く者の心を直接わしづかみにするような人間心理の深層に差し迫る音楽を手に入れたと言ってもいい。これを革新的と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか ? 後世の映画音楽や劇伴音楽にこの曲が与えた影響の計り知れなさを考えるとこの曲こそ真の革新的音楽と感じます。また、それゆえこの曲は過剰にセンチメンタルともいわれます。しかし我々はこの曲を演奏していて、特に内声の部分にラフマニノフの強い情熱の炎を聴き取ります。それは情念と呼んでもいい。

ここで、この曲の成立に関する有名なエピソード、ラフマニノフがこの曲を作曲する前に陥ったとされる神経衰弱について触れましょう。彼は彼の交響曲第 1 番の初演が酷評を受け、曲が書けなくなってしまいました。それは楽想を紙に書き留められないといった症状だったようです。そこで彼はニコライ・ダール博士の暗示療法を受けました。それは「とにかくペンを持って協奏曲を書いてみましょう。そしてそれはすばらしい作品になるでしょう」というものだったようです。つまりダール博士は書き留められないという障害を取り去ってくれた。溢れんばかりの情念を書き出せなかった苦しみから解放されたラフマニノフの喜びはいかばかりか(この曲はダール博士に献呈されています)。

ところで、ダール博士はアマチュアでかなり上手なヴィオラ奏者でした。博士は後年アマチュア・オーケストラでこの曲を演奏して被献呈者として聴衆に紹介されたそうです。そういえば、この曲の内声を司るヴィオラに情念を聴き取れるような気がします。

曲は 3 つの楽章から出来ています。第 1 楽章:鐘を模した前奏とセンチメンタルというよりは重々しい第 1 主題、抒情的な第 2 主題。再現部とコーダの間に第 2 主題が拡大されてホルンで奏されるのが印象深い。第 2 楽章:とても美しいメランコリックな主題が分散和音と共に奏されます。しかし中間部では強い意志の力を感じる。第3 楽章:華麗な第 1 主題とセンチメンタルな第 2 主題。しかし第 2 主題は次第に力を得て漸進し、センチメンタルは覆されて明日へ向かっていく。この感覚は遥かな憧憬と言い換えても良いかもしれません。(小西淳)

◇チャイコフスキー/交響曲第 6 番「悲愴」

【第一楽章】私たちはぼーっと生きている。この世の隅々まで満たされた悲しみに気が付かないように。

【第二楽章】せんせい、曲には三拍子と四拍子があるんだね。あら二拍子もあるでしょ、五拍子の曲もあるわよ。ごびょーしぃ ? へんなのー !

子どもの頃、ピアノおけいこブームで、習わせてもらったものの、練習なんか大っ嫌い。おばあちゃん先生で、古楽の研究家という経歴の持ち主だったけれど、当時の私には知ったこっちゃない。でも「ピアノを習っている自分」が好きで、そして先生のことも好きで、だらだらと、古い洋館の、バッハの写本が山積みになった部屋へ、象牙の鍵盤を叩きに通った。

でも中学生になって。合唱に吹奏楽、みんなでやる音楽は楽しい。それに比べピアノは孤独だ。やがて先生とはすっかり疎遠になってしまった。

ずっと大人になってから、実家近くで、杖を手に散歩する先生を見かけた。思わず駆け寄ったものの、ピアノなど何年も触っていない。だけど私は先生に報告することがあった。なごみ管弦楽団のこと。先生は、あらまあ、音楽のタネは撒いておくものですね、と笑った。それから間もなく、先生は、バッハやチャイコフスキーが今いる国へと旅立った。

今日、二楽章の五拍子に合わせ、あの頃の幼い私ステップを踏むのを、先生は見て下さるだろうか。

【第三楽章】俺ね、実は男のコしか愛せないの。男友達の告白に、なぜかつい、ふふっと笑ってしまった。あ、アナタの旦那さんは俺の好みじゃないから安心してね、と言われるに至っては声を出して笑う。彼の明るいキャラクターが大好きだった。だが、ピアノを経済的な理由で習わせてもらえなかったと語る彼の抱える生きづらさは、重層的なものだったと気づく。

心の風邪を長いこと患っていて、仕事を続けられなくなって、性的指向を身内になじられて。彼氏と別れたと聞き、私は短いおざなりな言葉しかかけられなかった。でもその夜、彼がカラオケで好んで歌うバラードを私は一人聴いた。クラシックで好きなのはベートーヴェンの「運命」。運命なら以前オーケストラで弾いたよ。へえ、いいなあ … アナタは。

やがて彼が入信に至った「信仰」は、私には共感するのが難しい種類のものだった。

三楽章は三連符の狂乱と困惑。そこにひっそりと刻まれる「運命」の主題。この作曲家は、私よりキミを理解してくれる人かもしれぬ。もう二度と会えなくても、友達と呼ばせて。

【第四楽章】あなたの病気について知らされた時、とっさにあなたを恨みました。あなたがそんな病気にならなければ、こんなに悲しい思いをせずに済むのにと。最低です、私は。

それから、長い長い闘病生活があって、その時は来ました。寒い冬の日でした。あなたのあと楽団の事務局を引き受けた私の夫は涙を止めることができず、私は何も感じたくなくて、わざと頭をぼーっとさせました。

でもね、昔あなたにブルグミュラーを褒めてもらった私の娘は、ショパンを弾くようになって、九九の暗唱を聞いてもらった息子は、微分方程式を解くようになって、二人ともあなたよりも私よりも背が高くなって、それでも、あなたの名前を聞くと、あの子たち、笑うんですよ、あなたの知っているあの笑顔で。

あなたが撒いた音楽のタネは、ささやかだけど素敵なお花畑になりました。あなたの立ち上げたこの楽団に、古い仲間も新しい仲間も、愛用の楽器を手に音楽への愛を胸に、笑いながら集まってきます。

ありがとうございました。あなたは、私たちの誇りです。(稲垣ちひろ)