ごあいさつ
本日は なごみ管弦楽団 第2回定期演奏会にお越しいただき真にありがとうございます。
昨年 12 月 2 日に川崎市多摩市民館で第1回定演を、それまでの1年間の練習も、当日のステージも、少ないメンバーながら精一杯に準備して実行しました。あの日、「音楽を発信する」喜びを改めて味わってしまった私達は、それからの1年間も大きな変化こそ無いものの、少しずつ加わってくれた方達にも支えられて今日を迎えることができました。沢山の方々に感謝しつつ本日のステージを務めます。
「名曲を楽しく演奏しよう」という創立時のコンセプトは芒洋とした感覚でもあり、考えようでは高すぎる理想です。プロのオケでも楽しく演奏できる機会はそんなにあるものでは無い、と聞きます。
「なご管」には社会人、学生、等々いろいろなメンバーがいて、演奏や楽団の運営についても各々の取り組み姿勢があり、この多様なメンバーをつなぎ合せているのが、「楽しく練習し、楽しく向上し、楽しく本番を務めて、お客様に楽しいと感じていただきたい」という自覚である、と考えたいところです。「時には厳しく」という味付けも必要ですが、このサジ加減の難しさは古今東西あらゆる組織・団体の課題です。こんな「人間的な」経験や葛藤も乗り越えながら、これからも続けていきたい、と思っています。
本日は、イタリアからドイツ・オーストリアを経てロシアに至る「名曲の旅」に挑戦します。我々の技量で名演とは参りませんが、昨年同様「熱い思い」をこめてお届け致します。なごみ管弦楽団 団員一同
曲目紹介
◇ロッシーニ/「セヴィリアの理髪師」序曲
本日最初に演奏いたしますのは、ロッシーニ作曲、歌劇『セヴィリアの理髪師』(1816 年初演 ) の序曲です。
『セヴィリアの理髪師』は 2 幕から成る喜劇で、原作はフランス人戯曲家ボーマルシェが 1775 年に書いた三部作です。『セヴィリアの理髪師』が第一部で、ちなみに後日談となる第二部はモーツァルト作曲の歌劇(1786 年初演)で有名な『フィガロの結婚』です。
物語の舞台はスペイン南部の都市、セヴィリア。理髪師で「街の何でも屋」を自認するフィガロが、女性の後見人の堅いガードを攻略して、アルマヴィーヴァ伯爵の恋を仲立ちするという話です。(なのにこの伯爵は『フィガロの結婚』でフィガロの恋人に横恋慕するんですって!)
当時の理髪師は、髪を切るだけでなく、鬘や髭剃りからちょっとした外科までこなしました。仕事柄、お客さんと身近に接するので、こっそり手紙を渡すなんてことも可能だったようですね。
さて、この序曲。実は作曲日数が足らずに、他のロッシーニの作品からの転用なんだそうです。ですからアリアの旋律を序曲に散りばめて…なんてことはないのですが、今日では序曲単独でも頻繁に演奏されるほど、有名で広く愛されている曲です。
ロッシーニの作品によく使われる、少しずつ速くなっていく長いクレッシェンド、通称「ロッシーニ・クレッシェンド」による盛り上がりもお楽しみください。(玉井紀子)
◇ベートーヴェン/交響曲第 1 番
なごみ管弦楽団では前回に引き続き、ベートーヴェンの交響曲をとりあげます。
昨年取り上げた 5 番の交響曲は知らない人はいないほど有名な曲で、いろいろと斬新な試みが取り入れられていますが、今回とりあげる第 1 番はハイドン以来の伝統を踏まえながらベートーヴェンらしさもにじみでています。
特筆すべきはベートーヴェンは第 2 番交響曲を作曲しているころに耳に異常をきたしはじめたのでこの曲こそ交響曲のなかで唯一、耳の異常もなく、厳しくて酒飲みだった父親から自由になって青春を謳歌していた曲だということでしょうか。ベートーヴェンの才能は先生からは認められなかったらしく、この曲を発表することを反対されたそうです。
【第 1 楽章】
不思議な感じの序章ではじまります。このような序章はハイドン以来の交響曲の伝統でした。(この伝統を壊したといえるのがほかならぬベートーヴェンです)わずか 12 小節の序章ですが、ここにベートーヴェンの音楽が詰まっているという感じです。ゆっくりした序章のあとテンポが速くなり、快活な音楽がはじまります。
【第 2 楽章】
この楽章はゆっくりです。三拍子でまるでメヌエットのようです。本当はソナタ形式で書かれています。
【第 3 楽章】
3 楽章にメヌエットをもってくるのはやはり伝統どおりですが、この曲は名前こそメヌエットですが、内容はスケルツオです。こんな速さではメヌエットを踊るのは無理です。
(はないちもんめならできるかもしれませんが)
【第 4 楽章】
また、ゆっくりで思わせぶりな序章が出てきます。わくわくした気持ちと一緒に音楽は終止線をめざします。
このような名曲をさらりとさりげなく演奏できますか、演奏者の冷や汗が客席まで伝わって手に汗握る演奏になりますか、聴いてからのお楽しみということで。(山内響子)
◇チャイコフスキー/交響曲第 5 番
【第 1 楽章】
ここに一人の青年がいる。
強烈な自意識に悶々としている。自分は特別な存在だと確信しながら、具体的に何者なのかは皆目分からない。自分は平凡な人生など決して送ることはないはず。しかし、自身を待ち受ける運命とは何なのか、全く見当がつかない。
青年は、凍てつく町を歩いている。降りしきる雪で視界が霞む。容赦なく日は暮れていく。
ふと、指先に刺すような冷たさを覚えて立ち止まる。靴に雪が染みているのだ。その冷たさだけが青年にとって唯一の現実であるようで、呆然と立ち尽くす。雪は降りしきる。
【第 2 楽章】
魂の理想の形、というのが天上界に存在するそうだ。人は時に「それ」が天から降り注ぐ瞬間を目にすることがあるという。作曲家は、目にしたのではなく耳にした。
さもなくばどう説明できようか、あのホルンの旋律を。
【第 3 楽章】
若い日々に、町の喧騒はなんと魅力のあるものだろう。人混みにあって青年は、自由の空気を胸いっぱい吸い込む。やがて月日ともに、町は彼の目に色褪せて映るのであろうか。青年は失望するのか。それとも改めて喧騒に穏やかに身を任せるのだろうか。運命を知って。
【終楽章】
さてさて。私達はさんざん都合をやり繰りして今日の日を迎えました。
アマチュアの練習時間は悲しいまでに限られます。楽団運営の難題は今日まで山と積まれてきました。そうやってチャイコフスキーの交響曲に「恋」してきた1年間でした。
青春時代は遠く去ろうとも、チャイコフスキーの音楽には常に青春が息づいており、こうして仲間と楽器を手に集まれば、幸福な高揚感に身をゆだねることができるのです。
「現実」とは、さほど悪いものではありません。
恋する仲間の皆様、今日は約束の歌を一緒に歌おうではありませんか。(稲垣ちひろ)