ごあいさつ

本日は「なごみ管弦楽団」第 5 回定期演奏会にお越しいただき、真にありがとうございます。

私共が 5 年前に出発の原点に置いた「名曲を楽しく演奏しよう」というコンセプトは、「楽しく聴いていただく」という目標無しでは意味が薄い、と思っています。しかし、今回の名曲中の名曲を前に覚悟不足を思い知らされた 1 年間、でもありました。チャイコフスキーが人知を超えた才能の溢れ出るままに書き綴ったこの作品には、軽々には表現し得ない美とロマンが凝縮されています。今回ご協力下さる、味わい深い語り、若く溌剌としたハープ、他の賛助の皆様のお力添えを頼りに、力の限り努めたいと思います。

末筆ですが、世界中の人々があらゆる災害から粘り強く復興してゆくことを心から祈念いたします。なごみ管弦楽団 団員一同

語り手紹介

藤本しの 

学生時代に、全欧・南北米・豪・中近東・アジア・アフリカ各地約 90 ヶ国を旅行した経験を生かして、旅行会社にて海外旅行企画、世界の秘境ツアーを添乗。

その後、英・仏・独語の通訳として、ダン・タイ・ソン、ヒラリー・ハーン、リチャード・ストルツマン、ゲイリー・カー (NHK「スタジオ・パーク」など ) 氏等、著名なクラシック音楽演奏家や指揮者、オーケストラのアテンドをする傍ら、サントリーホールにおける渡邊暁雄賞・特別賞授賞式、東京オペラシティ、東京芸術劇場、世田谷パブリックシアター、第一生命ホール、横浜国際会議場、NHK 放送技術研究所、富士ゼロックス、近畿日本ツーリスト、オクトーバーフェスト、UBS 証券グループなどの各種イベントの通訳・司会を努める。また、「現代の語り部」として、語り、ナレーション、芝居・映像の分野でも研鑽を積み、積極的に取り組んでいる。

曲目紹介

◇スッペ/喜歌劇「軽騎兵」序曲

うららかな春の日。世田谷の小学生だった私は、校舎三階の音楽室の窓から、首都高をぼんやり眺めていた。クラシック音楽鑑賞の授業。レコードから流れる「軽騎兵序曲」。トランペットのファンファーレ、エキゾチックでメロウなハンガリー風の中間部、明るい行進曲と、子どもにも分かりやすい要素が揃っている。首都高を行く車はパカパッパカ、パカパッパカ、というマーチに合わせて元気に流れていた。軽騎兵とは、アジアの遊牧民にルーツを持つ軽装備で機動力を用いて戦う歩兵のことである。当時カローラなどの日本車は燃費の良さと軽快な走りで世界の市場を席捲していた。それはあたかも我が国の軽騎兵だった。ジャパン・アズ・ナンバーワン。経済は右肩上がり、暮らしはもっと豊かに便利になる。やがてバブルを迎えるというその時代、一方で、大気汚染による喘息やアレルギー症状で苦しむ同級生が、街中のその小学校には数多くいた。

私は大人になった。今、一体誰がこの国の将来に夢が描けるのか。自然災害の恐怖、出口の見えない不景気、食糧エネルギー問題、高齢化。暗澹としつつも、楽器を手に集まって、こうした軽快な音楽を奏でるささやかな余裕があること、喜びを共有する仲間の存在。私は、大きく伸びをするような清々した気分で、我が楽団自慢のトランペットに聞き惚れながら、今、幸せだな、と思う。(い)

◇ベートーヴェン/交響曲第 8 番

【第一番】既に名声を博していたその作曲家は、古典の気品に満ちた交響曲を書いた。それは、並の作曲家なら集大成と言ってよい佳作だった。しかし、それは「大河の源流」だった。【第二番】なんということか!耳の病気を患うとは。音楽家として一番大切な聴力を失われる恐怖に、彼は悲痛に満ちた遺書を書く。同時に再び優美な交響曲を書く。死ねない。音楽への思いが強すぎて。【第三番】時代は大きくうねっていた。貴族社会の緩やかな崩壊を、貧しい平民の出身の作曲家は、どれほどの胸の高鳴りをもって見つめていただろう。【第四番】しかし作曲家が大切にしたいのは、先人たる芸術家の遺した規範。時代は世間は自分に新しいものばかりを要求するが。【第五番】自分は何がしたいのだ?耳の病は治る見込みはなく、暮らし向きは一向によくならない。何より、どこの誰もが本当の自分を理解しようとはしないのだ。何が自分を満たすのだ?時代の変革は個人の幸福など何一つ保証しない。孤独、葛藤。【第六番】ふと故郷の自然に目を止める。都会の喧騒を離れて。清らかな小川の流れ、緑、空気。ああ何と世界は美しいのか!孤独もまた心地よい。【第七番】作曲家は恋をする。地位のある人々の多くが自分の芸術を賞賛してくれる。ひょっとしたら自分は孤独ではない?聴力は刻々と失われているも。

そして【第八番】。作曲家は、再び端正な明るさに満ちた交響曲を書く。自分が歩んできた道のりを慈しむように。人生はかくも愛しい。作曲家はこの小さな交響曲に、いつかこれが多くの人の心を慰める宝物となるように祈りを込めた。たとえ自分はその演奏を聴くことは叶わなくても。

だが神は、作曲家に、もっと大きな人類の宝を創造するように命じた。刻々と迫る老い。耳はまったく聞こえなくなっていた。それでも作曲家は勇気をふり絞ってその運命に立ち向かう決意をする。大河はついに海へと至る。そう、あの【第九番】へと...。(い)

◇チャイコフスキー/バレエ音楽「白鳥の湖」

チャイコフスキー三大バレエのひとつである「白鳥の湖」。本来ならここで物語のあらすじを記すところですが、本日は語り付きで演奏いたしますのでそちらをお聴きいただくとして、ここでは作品の背景を紹介します。

「白鳥の湖」が作曲されたのは 1875 年から 1876 年にかけてのこと、ボリジョイ歌劇場からの委嘱によってでした。初演は翌 1877 年にされています。三大バレエの残りふたつ、「眠れる森の美女」の初演が 1890 年、「くるみ割り人形」の初演は 1892 年なので、それらと比べると随分若い頃の作品となっています。そのためか、楽器編成についてもコーアングレやバスクラリネットが使用されず、ややコンパクトになっています。

その、現在においてクラシックバレエの最も重要なレパートリーとなっている(「三大」の他 2 作品と比べても!)「白鳥の湖」ですが、初演から順風満帆に再演が繰り返されて今日に至っている訳ではありませんでした。報酬とバレエ音楽の可能性に魅力を感じてボリジョイ歌劇場の委嘱を受けたものの演出や踊り手に恵まれずに失敗。ついにチャイコフスキーの存命中は再演の機会を得ることが出来ず、またチャイコフスキー自身にもトラウマを残すこととなり、次の「眠れる森の美女」作曲まで 10 年以上を要すこととなったのです。

そのような経緯で埋もれるかと思われた本作ですが、チャイコフスキーの死後に事情が変わってきます。「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」も手掛けた振付師のプティパが弟子のイヴァノフやチャイコフスキーの弟モデストの協力を得て改訂版を作成、1895 年に全幕上演し好評を博したことで、一躍重要な作品として扱われるようになったのです。以降多数の演出バリエーションや、物語や音楽を拝借した派生作品が生まれましたが(直近の例だと踊り手に焦点を当てた 2010 年公開の映画「ブラック・スワン」が挙げられます)、その大部分がプティパの版をベースにしているほどの影響力を持っています。

最後に冒頭では「語りを聴いて」と書いたのですが、物語に関して少しだけ。本作の初演時の台本はボリジョイ劇場支配人と総監督が作成したのですが、原案はチャイコフスキー自身がドイツの作家ムゼーウスの童話「奪われたヴェール」をベースにして作ったと考えられています。そのため、本作の舞台はロシアではなくドイツなのです。そして結末について、初演版やプティバ版は民話によくある悲劇的なものであったものの、ソヴィエト連邦の時代には大団円となるものが作られるなど、様々なバリエーションが生まれています。さて本日はどのような結末となるでしょうか?(せ)